こんにちは。ありんこです。
昨日、2月18日は、私の祖父の命日でした。
ちょうど今年は13回忌にもあたり、
私の出産の関係で1週早めてもらうことになり、先週に法事がありました。
今日は、祖父のことを想いながらブログを書きたいと思います。
漁師だった祖父は、祖母と2人で夜中2時半から海へ行き、仕事をしていました。
家の2階からは、一面海が広がっており
夕方、じいちゃんと手を繋ぎながら海辺を散歩してもらった思い出があります。
じいちゃんと言えば、
釣ってきた魚で刺身をばあちゃんにしてもらい、
仕事から帰ってきたお父さんと一緒に
男2人で日本酒で晩酌を楽しんでた姿を思い出します。
お祭り好きだったじいちゃん。
毎年夏に行われる祭りにも、ハッピをカッコよくお父さんと着て、私達孫をいつも可愛がってくれてました。
そんな元気だったじいちゃんも
私達が大きくなっていた頃は膝や首など、手術を何度もしていました。
私が小学生だった頃。
膝の3度目の手術を受けた翌日。
突然、言葉が出なくなり、あっという間に片麻痺状態に。
手術後、安静にしていた足に血栓ができ、脳の大事な血管を塞ぎ、脳梗塞を発症。
それから長い6年半の闘病生活がはじまります。
途中、在宅介護で
祖母と母が、祖父のオムツ交換、胃瘻の栄養注入、体位変換など、休む間もなく世話をしていました。
当時、小学生だった私。
ヘトヘトになりながらも、じいちゃんのために
頑張っている2人を見て、何もできない自分に歯がゆい思いをしていたのを覚えています。
それが、将来。私が医療従事者への仕事を目指すきっかけになります。
12年前、2011年2月18日。
ちょうど東日本大震災の1か月前弱前にあたります。
何度も危篤状態で、いつどうなってもおかしくない時でした。
昼過ぎ。病院から電話があり、当時専門学生だった私は、祖母と慌てて雪道の中病院へ向かいました。
中3の受験生だった弟も、早退して病院へ。
最後に到着した私が、病室に着いた時。
『ピー』と呼吸が止まった音が響き渡りました。
「1日でも長く生きたいんや。」
そう娘であるお母さんに、脳梗塞を発症する前に話していたそうです。
何度も手術に耐え、言葉が話せず、ご飯も口から食べれなくても。
途中、心停止があって、心臓マッサージで一命を取り留めたことがあったなぁと、先生から祖父のことを聞いたこともあります。
最後の最後まで、みんなが到着するのを待っていてくれてたんだと思います。
じいちゃんに、最期の挨拶をして見送ることができました。
82歳でした。
今、元気でいてくれたら、来月には95歳。
ひ孫を可愛がってくれていたと思います。
その分、今も元気でいて、ひ孫を大切に可愛がってくれるばあちゃんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
お腹の中に新たな命を宿っている今。
こうして、たくさんの人が繋いできてくれた
『命のバトン』を、私も引き継ぐことができて、幸せです。
一昨日の夜中、いつもと違うお腹でゴツンと動く感覚があったので、
もしかしてとは思いましたが、まだもう少しお腹の中でタイミングを待っているようです笑
生まれてくるまでどうなるか分からないのが、出産。ドキドキですが、頑張ります!
また明日の投稿もお楽しみに。
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